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新品 :33127134323
中古 :33127134323-1 |
メーカー | 60a28c930acd | 発売日 | 2025-06-10 06:15 | 定価 | 25000円 | ||
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カテゴリ |
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる年光東流水(年光東流の水)漢詩文・白楽天
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる原本の断層画像写真
閉じる左・真木柱の姫君・右・髭黒大将
閉じる北の方から香炉の灰をあびる髭黒大将
閉じる髭黒大将の背中に灰をあびせる北の方
閉じる中央・真木柱の姫君
自筆「源氏物語」の「真木柱(まきばしら)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。1921年 初拓張猛龍碑 朱印多数 検: 碑帖 拓本 墨拓片 原拓 漢碑刻 法帖 北魏碑 墓誌銘 支那 法書道 善本 篆刻 印譜 唐本漢籍 珂羅版 玻璃版。
原文は「源氏物語・真木柱の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。全8巻(16冊)揃『今古実録 参考源平盛衰記』明治16年。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。旗本領祢津村古文書日記●明治33年 日記簿 利根川 43丁 小縣郡祢津村 現在の長野県東御市 240601。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。近江彦根藩領出流原村古文書日記●明治26~昭和10年(1893~1935) 神山孝太郎氏日誌 46冊 下野国安蘇郡 現在の栃木県佐野市 240316。現在の今上天皇と系譜がつながっている。支那 美人 麻将 麻雀 15cmX11cm 白黒 検索:生写真 中華民国 旗袍 小姐頭 洋行 憲兵 巡捕 租界 老照片 相片 水煙 日中戦争 満州事変 妓女。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。稀少 木版刷 曼荼羅 ? 検索 密教 木版画 ラマ教 曼陀羅 喇嘛教 仏画 仏絵 和本 唐本。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。林子平『海國兵談』(全十六巻 合本一冊)天明六年序刊 江戸時代和本(謄写版)海国兵談。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。明治43年 演芸画報 9冊一括 送料無料 検索 新入社員 藤澤 清造。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。☆3124和本慶応4年(1868)序新政府名鑑「太政御職明鑑」全1冊/古書古文書/木版摺り。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。f240502036〇彩色木版画 広重 富士三十六景 房州保田ノ海岸 千葉県鋸南町 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。開堂法話 深奥山方廣萬寿禅寺再住持入寺開堂拙語 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 禅宗 仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗NY。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。鳥羽繪筆ひやうし。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。『三都勇剣伝大丸屋騒動実記』明治21年 井口民治郎刊 明治時代和本(和装活字本)彩色木版画装 浮世絵 錦絵。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。永井龍男全集 全12冊 永井龍男。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。【金富士】値下げ中 貴重資料『宋瓷名品図録』定窯・定窯型 解説冊子付 大型本 学習研究社 箱入 検/学研中国古書陶磁古書和書。また、各巻ごとの書かれた年については不明。キルケゴール著作集 全22冊 キルケゴール。従って、応永五年とは、書き始めの年である。世界的大魔術・忍術・気合術・催眠術・千里眼/哲学博士山口三之助・帝国催眠学会長生方賢一郎/大正13年/必ず完全なる催眠術者となり得る。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。横山丸三(春亀斉丸三)自筆歌稿 嘉永元年筆 真筆保証品 淘宮術の祖。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。(古本)北篤 直筆書簡 5葉 書簡 A61762。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。仙台逓信局刊『秋田県特設電話番号簿訂正書』(3冊セット)大正14年-15年刊。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。賀川豊彦全集 全24冊 賀川豊彦全集刊行会。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。『耶馬臺國探見記』●渡邊村男著●柳川新報社●大正4年刊●全182P+付録●検)卑弥呼邪馬台国弥生時代。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。■『國際秘密力の研究(1)』柳沼七郎責任編輯。昭和11年初版。國際政經學會。■校正痕。■原本を布厚表紙で装幀し直した珍本。■造り函。。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。明治20年 雅語用例集『増補 雅言集覧』全57冊7帙揃 送料無料。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。@1939年 帝国勲章大鑑 世界飛行機 検索:菊花章 朝日大綬章勲一等 宝冠章 瑞宝 図鑑 軍事 大将軍 支那 皇族 爆撃 戦闘機 零戦 0戦 将校 轟炸。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。●極上和本YM4942●江戸明治和本等>仙台往来[仙台状](寛保2年)稀書往来物。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。岡田良策(岡田霞船)小林幾英画『金梅鉢誉名木宮本左門之助武勇伝』明治19年 祥雲堂 明治時代和本 錦絵二枚続(彩色木版画装)浮世絵。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。滑稽百人面相競 銅版絵本。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。蝦夷休明光記 羽太正養。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。鳥羽繪欠どめ 上中下 三冊。
出品した「源氏物語」は真木柱(まきばしら)の内容の要旨
「真木柱の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。●極上和本YM4936●江戸明治和本等>〈都名所・諸職尽〉買得往来[都買得往来]稀書往来物。第31帖。傾城腹之巻 後編上中下巻 合本 鼻山人(東里山人)菱川政信 ②E。尚侍(ないしのかみ)として宮廷に出仕を控えていた玉鬘の姫君だったが、その直前に髭黒大将が女房の手引きで強引に結婚することになった。『布告集誌ひらかな附』(八冊セット=第一号~八号)明治一三年 愛民社刊(長野県)明治時代和本(和装活字本)。髭黒大将はその後玉鬘の姫君を迎えるために邸の改築に取り掛かる。里村紹巴自筆消息幅 能札宛 紹巴が旅先から北野神社の社僧で連歌師の能札に宛てた書状。だが、その様子を見た北の方(髭黒大将の正室)は絶望し香炉の灰を髭黒大将に浴びせる。大岡昇平集 全18冊 大岡昇平。この事件で完全に北の方に愛想を尽かした髭黒大将は玉鬘の姫君に入り浸り、とうとう業を煮やした北の方の父・式部卿宮は、髭黒大将の留守の間に北の方と子供たちを迎えにやる。※イタミ有。斬人斬魔剣 (1961年) 光風社 陣出 達朗。明けて新年、相変わらず塞ぎこんでいる玉鬘の姫君に髭黒大将もようやく出仕を許す気になり、玉鬘の姫君は華々しく参内する。●極上和本YM4952●江戸明治和本等>〈旧幕府御掟書〉海津往来 文化11年。早速訪れた冷泉帝は噂以上の玉鬘の姫君の美しさに魅了されて熱心に想いを訴え、それに慌てた髭黒大将は退出をせきたててそのまま玉鬘の姫君を自邸へ連れ帰ってしまった。岡田玉山『絵本不尽泉』(上下巻合本一冊)寛政九年版 江戸時代和本(明治刷)風俗絵本。
自筆右下四つの印のうち下2つは、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印、上2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。大正4年 浅草区仲見世東24号大橋堂 写真画帳 12帳一括 浅草土産 四十七士忍術勇士彰義隊一心太助尼子十勇士白虎隊大久保彦左衛門。
原本自筆上部には、「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。唐本 梅清画集 梅瞿山黄山勝蹟圖 文明書局玻璃版 中国書画 民国13年 【34】。白楽天の有名な漢詩です。黄帝内経古注選集 正続揃い 全12冊 小曽戸洋他解説。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。●極上和本YM4957●江戸明治和本等>めのとのさうし乳母草紙 じよくんせう女訓集(正保3年)稀書往来物。「源氏物語」真木柱の巻の原文中には、「おほつかなき月日も重なりぬるを」とあります。秘藏 戦国時期 『南華経』セット4冊 中国古書 古美味 骨董品 O-01。源氏の君が恋する玉鬘の姫君への懐かし想いを記したものです。絶版雑誌★「少年」昭和24年9月號 小松崎茂 江戸川乱歩 山川惣治 野尻抱影 河合三郎 富田常雄 大佛次郎 光文社。現代語訳では、「お逢いしないうちに月日も重なってしまいました」というものです。叢書ヒストリー・オヴ・アイディアズ 全30冊。紫式部が「真木柱」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。(古本)世界の歴史 全16冊組 貝塚茂樹ほか 中央公論社 HK0610 19741110発行。詳細な理由は下記説明欄に記載。●極上和本YM4939●江戸明治和本等>古今銘物往来 鎌田善吾 有隣斎 享保 稀書往来物。
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。魯西亞舩渡来一件 ロシア渡来一見 漂流。
「自筆原本」
自筆右下の2つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。京内まいり全。
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。●極上和本YM4938●江戸明治和本等>尾崎鎌倉往来 附筆塚之石文 尾崎敬孝 天明4年 稀書往来物。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。太政官牒東大寺紀長谷雄 昌泰二年・899年 最後の遣唐副使 太政官印平安初期古文書古記録古写 菅原道真 藤原時平 宇多上皇 醍醐天皇。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《心さしの、人に》・・・・・をく(後)れて、けしき(気色)とり
したか(従)ふよ。西南記伝・6冊/黒龍会/明治41年/維新政府を二分する西南の役を起した征韓論とは何か/あらゆる史料で征韓派の思想と行動の全貌を伝える名著。むかし(昔)のなにかし(某)かためし(例)も
ひ(引)きい(出)てつへきこゝち(心地)なんする」とて、
まことにいとくち(口)お(惜)しとおほ(思)しめ(召)したり。Ba-409/北海道砂金掘り 昭和55年11月18日発行 著者:加藤公夫 発行所 北海道新聞社 砂金掘り四十年の流れ/L8/61226。
き(聞)こしめ(召)しゝにもこよなきちか(近)まさりを、
はし(初)めよりさる御心なからんにてたにも、御らん(覧)し
す(過)くすましきを、まいていとねたうあ(飽)かすおほ(思)さる
されと、ひたふるにあさ(浅)きかた(方)に思ひうとまれしとて、
いみしう心ふか(深)きさま(様)にのたま(宣)ひちき(契)りて
なつけ給ふもかたしけなう、我はわれ(我)と思ふものをと
おほ(思)す。●極上和本YM4943●江戸明治和本等>庄内松竹往来 寛文12年作 文政3年書 稀書往来物。御てくるま(輦車)よ(寄)せて、
こなたかなたの御かしつき人ともこゝ・・・・・《ろもとなかり》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。●極上和本YM4946●江戸明治和本等>伊夜日子往来[弥彦往来]新出史料 稀書往来物。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《大雪の日・玉鬘の君の邸に行こうとする大将の装束に香をたく北の方(正室)》
《髭黒大将の北の方、大将に背後から香炉の灰をふりかける有名な場面》
《冷泉天皇、玉鬘の姫君に愛の心情を告白》
《冷泉天皇、玉鬘の姫君に愛の心情を告白、髭黒大将、玉鬘の姫君を宮中から退出させる》
《帝(冷泉天皇)は、
(冷泉天皇)「そういうことなら仕方がない。松浦厚編『松浦法印征韓日記抄 全』明治27年 松浦家蔵版・吉川半七刊 文禄・慶長の役 松浦鎮信 明治時代和本(和装活字本)絵入本。
これに懲(こ)りてもう二度と参内(さんだい)させないと言い出す人があっても困るから。葉若茂編『記事論説祝文作文五千題』(全三巻三冊揃)明治28年 葉若茂刊 明治時代和本 銅版画本。
なんともつらいことよ。少年少女21世紀のSF5 ゼロの怪物ヌル 畑正憲 金の星社 昭和44年 外函付き。誰よりもまずあなたを思っていたのに、先を越されて、
今ではその人の》・・・・・ご機嫌とりに汲々(きゅうきゅう)としているのだからね。拓本保証 漢時代 画像磚 原拓片 検索:碑帖 法帖 書道 唐本 漢籍 善本 古墨拓 碑刻石 瓦当 金石 篆刻 柯羅版 支那 石鼓 経折本 王羲之 本拓。
昔の誰やらの例を引合いに出したくなるような心地がする」
とおっしゃって、帝(冷泉天皇)は、心底から残念なこととお思いあそばす。巻菱湖唐詩帖 菱湖先生 幕末の三筆 中国 唐本 和本 和書 漢籍 古書 古典籍 書画 書道 拓本 碑帖 ②E。
帝(冷泉天皇)は、かねてお耳にしていらっしゃったよりも、
実際にごらんにあそばすとまたとない尚侍の君(玉鬘の姫君)の美しさに、
はじめからそうしたお気持がなかったとしても、このままお見過しにはなれなかったであろう。・品名:発行者:史料集 義演推皇日記(第1~第3)・太田ぜん・印刷所:株平文社。
それだけになおさらのこと、じつにいまいましく、おあきらめになれない。女を生きる女たち―吉原幸子対談集 (1985年) (ラ・メールブックス〈1〉)※イタミ有り。
さればとて、ただ向こう見ずのあさはかな心ととられ見向きもされないことのないようにと、
たいそう懇(ねんご)ろに奥ゆかしく後々のことをお約束になり、
やさしくしてくださるにつけても、尚侍の君(玉鬘の姫君)は
(玉鬘の姫君)「畏(おそ)れ多くて、自分はどうしたらよいのか
定めなく夢路をさまようような身の上なのに」
とお思いになっている。●極上和本YM4937●江戸明治和本等>〈大橋〉きそのかけはし[木曽乃掛橋]大林堂重英 稀書往来物。
御輦車(てぐるま)を寄せて、お二方(源氏の君と内大臣)の大臣家
からのお迎えの人たちも、・・・・・《早くご退出をとやきもきし、大将(髭黒大将)も
なにかとやかましくそばからおせきたてになるまで帝(冷泉天皇)は
尚侍の君(玉鬘の姫君)から離れることがおできになれない。大阪新町細見之図 澪標。》
備考・髭黒大将の北の方(大将の正室)は、紫の上の異母姉
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。欧州大戦史の研究・11冊/陸軍大将杉山元/昭和12年/石田保政が七年有余に至る陸軍大学校在職間心血を打込んで講義した欧州大戦史一部の収録。
《The Cypress Pillar(真木柱)》
"Goodbye, then."
The emperor seemed genuinely regretful.
"Do not let anyone tell you that because this has happened
you must not come again.
I was the first to be interested in you and I let someone
else get ahead of me.
It does not seem fair that he should remain unchallenged.
But there we are. I can think of precedents."
She was far more beautiful thin distant rumor had made her.
Any man would have regretted seeing her go,
and he was in a sense a rejected suitor.
Not wishing her to think him light-headed and frivolous,
he addressed her most earnestly and did everything
he could to make her feel comfortable.
She understood and, though awed, wished she could stay with him.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《真木柱》
我已成从前的文平了!”他真心地惜。山形県名勝誌・山形県庁・田山宗堯・明治41年・御巡行紀要・村山最上地方・置賜地方・庄内地方/山形県金石文集・非売品・昭和12年/2冊。
以前玉鬘貌美,在眼其人,他得比更美。竹譜詳録 上下二冊。
即使以前不曾有恋慕之心,了也不肯放;
何况曾有此心,安得不嫉怨恨?
然而一味求,深恐被玉鬘看成浅薄而弃他。弘化5年 女大学寶箱 浪花書肆 益軒貝原 江戸時代 当時の女性が守るべきとされた規範や教え 多数絵入り 古書 和本 ②E。
因此便装出流雅的姿,和立盟誓,使心悦服。「農家備要前編」5冊揃 明治3年(1870)農業 北筑河野剛禎造 絵入 古書 木版摺り 備中倉敷 ②E。
玉鬘惶恐,想道:“‘梦境迷我不知’
呀!”已准好。鳥羽繪筆拍子。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」真木柱の巻の末尾(原本番号40-B)の押印。曲亭馬琴作 勝川春亭画『常夏草紙 全』明治19年 栄文舎刊 明治時代和本(和装活字本)彩色木版画装 錦絵 浮世絵。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。為永春水著 歌川豊国・歌川国貞画『阿玉ヶ池櫛月形』(四冊)明治7年刊 明治時代和本 彩色木版画装 浮世絵 錦絵 絵草紙 草双紙。冬姫は内大臣・通誠の養女。神通力入門 (1978年)※イタミ有。
冬姫は通称。ダスキン“愛の店“流通システム―心で伸びる流通組織のすべて (1980年) (Kou business)※イタミ有。正式な名は伊達貞子。〇refle0【激レア】古書 式法秘書 1~5 明治34年 お料理本 生間正起 五車楼書店 当時の調理法が…。
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。歴世女装考 春夏秋冬四冊。
表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。・品名:本 寛永諸家系図博 ・発行者:太田善麿 ・印刷所:(株) 平文社。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(真木柱の巻)MRI 31―31A
「源氏物語」真木柱の巻の絵の資料
下記写真は、髭黒大将の北の方(正室)が大将の香炉の灰を浴びせる画面の絵
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。陣地戦の研究・2冊/陸軍大学校兵学教官・陸軍砲兵中佐・菰田康一講述/昭和4年/勉めて多くの戦例を引用し講受せしめたる応用戦術の筆記なり。
「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。●極上和本YM4955●江戸明治和本等>孝行文章 手習肝要記 書筆策励記 久留米板3本合本 稀書往来物。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。※カバー無し。学校図書館関係論説集 (1976年) 規文堂 加茂 弘。白楽天の有名な漢詩です。志賀直哉全集 全16冊 志賀直哉。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。ジャータカ全集 全10冊 中村元監修・補注。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。福原義春 自筆葉書5通一括(真筆保証品)宇治敏彦宛 2003-2011年消印 資生堂会長 年賀状含む。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。ジャッキー・チェン〈東映編〉―全作品グラフィティ (1985年) (Best hit series)※イタミ有。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。日中戦争時 旧日本軍 古文書 検索:汪精衛 蒋介石 関東軍 陸軍閥 国民党 支那 租界 生写真 革命党 洋行 満洲帝国 総督府 巡捕 張学良 古建築。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。故実叢書・装束集成・6冊/今泉定介/儀式・故実書を網羅した有識故実の原典として辞典の項目にも掲載されるほど著名であり国民の財産である。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。明日なき勝者―実録・相場師 (1977年) (グリーンアロー・ブックス) グリーンアロー出版社 沙羅 双樹※イタミ有。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。●極上和本YM4941●江戸明治和本等>仙台往来(異本・2巻本)新出史料 稀書往来物。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。XX-189 ■送料込■ 長野県 憲徳学校 修了証 他 まとめて 明治時代 学校 下高井郡 若宮村 和書 古書 古文書 /くJYら。撮影後、展示のために再表装をしております。法福寺合戦 信州時田合戦 信州桔梗原合戦 江戸中期写。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。I20-142 燻製食品 農學博士 谷川英一著 丸善 書き込みあり。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。青山練兵場陸軍大観兵式。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。組上 歌舞伎座新狂言於染久松奥蔵之場。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。善悪何四書。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。渡辺華山画『華山俳画譜』限定500部 大正15年 米山堂刊(稀書複製会)元袋付 彩色木版画譜 江戸時代和本復刻版 渡辺崋山。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。尾崎紅葉著 武内桂舟木版画『三人妻』(全2冊揃)明治25年 春陽堂刊 初版本 明治文学。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。萬國地誌畧諳記問答 (万国地誌略暗記問答) 巻之一 巻之二 周防 静間密 ☆ 明治10年 明治11年 ☆ 古書 送料無料 即決 和綴。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。【稀少!江戸期繊細多数絵入】正信偃訓読圖會 貳 大本等検浄土真宗親鸞聖人武将軍武者絵木版画浮世絵本仏教錦絵入骨董品古書籍天皇中国朝鮮。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。☆E0198和本江戸宝暦11年(1761)お触れ裁判写本「秘録」天地神3冊揃い/上州山田郡天沼新田の印/古書古文書/手書き。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。古典に学ぶ!/[最新分類楹聯大成・四明周蓮弟・上海啓新書局・中華民国十三年)]/書家は必携。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。w147◆心学道の話 全8編24巻 8冊揃◆江戸 奥田頼杖 平野橘翁 天保 石門心学@和本/古文書/古書。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。和暦一枚紙 明治24年 九星術 方位神 家相 検)神道神社仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空天台宗海親鸞法然 戦前明治大正古書和書古文書NS。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。★☆当時物/日本ノート学用品 昭和九年発行/教育掛図/小学 国語読本掛図/第二学年。母は後水尾天皇皇女女二宮。●極上和本YM4861●江戸明治和本等>浪花名所文章[浪華名所記]十返舎一九 稀書往来物。実母は近衛家女房(瑤林院)。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 元和三年八月 浅書与之密 古文書。幼名は多治丸。●極上和本YM4877●江戸明治和本等>新編松島往来[松嶋往来]滕耕徳 稀書往来物。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。●極上和本YM4860●江戸明治和本等>下総名所往来 極美本 稀書往来物 文政板後印。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。【極美 大特価 レア 入手困難】『昭和北野大茶湯』図録及び記録【非売品】北野大茶湯三百五十年記念大献茶会 昭和12年 裏千家 表千家。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。●極上和本YM4859●江戸明治和本等>〈頭書絵入〉成田詣文章〈楠正成壁書〉滕耕徳 稀書往来物。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。周防国錦帯橋之図。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。●極上和本YM4872●江戸明治和本等>諸国名山往来 十返舎一九 森屋板 稀書往来物。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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