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新品 :33127160896
中古 :33127160896-1 |
メーカー | e83795 | 発売日 | 2025-05-28 00:22 | 定価 | 25000円 | ||
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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「蛍(ほたる)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。【金富士】値下げ中 貴重資料『宋瓷名品図録』定窯・定窯型 解説冊子付 大型本 学習研究社 箱入 検/学研中国古書陶磁古書和書。
「蛍の巻」は、3代将軍家光の長女千代姫が婚礼調度として持参した国宝「蛍の調度」は、「源氏物語絵巻・蛍」に依拠することで知られております。キルケゴール著作集 全22冊 キルケゴール。原文は「源氏物語・蛍の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。世界的大魔術・忍術・気合術・催眠術・千里眼/哲学博士山口三之助・帝国催眠学会長生方賢一郎/大正13年/必ず完全なる催眠術者となり得る。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。横山丸三(春亀斉丸三)自筆歌稿 嘉永元年筆 真筆保証品 淘宮術の祖。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。(古本)北篤 直筆書簡 5葉 書簡 A61762。現在の今上天皇と系譜がつながっている。仙台逓信局刊『秋田県特設電話番号簿訂正書』(3冊セット)大正14年-15年刊。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。賀川豊彦全集 全24冊 賀川豊彦全集刊行会。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。『耶馬臺國探見記』●渡邊村男著●柳川新報社●大正4年刊●全182P+付録●検)卑弥呼邪馬台国弥生時代。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。■『國際秘密力の研究(1)』柳沼七郎責任編輯。昭和11年初版。國際政經學會。■校正痕。■原本を布厚表紙で装幀し直した珍本。■造り函。。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。明治20年 雅語用例集『増補 雅言集覧』全57冊7帙揃 送料無料。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。@1939年 帝国勲章大鑑 世界飛行機 検索:菊花章 朝日大綬章勲一等 宝冠章 瑞宝 図鑑 軍事 大将軍 支那 皇族 爆撃 戦闘機 零戦 0戦 将校 轟炸。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。●極上和本YM4942●江戸明治和本等>仙台往来[仙台状](寛保2年)稀書往来物。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。岡田良策(岡田霞船)小林幾英画『金梅鉢誉名木宮本左門之助武勇伝』明治19年 祥雲堂 明治時代和本 錦絵二枚続(彩色木版画装)浮世絵。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。滑稽百人面相競 銅版絵本。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。蝦夷休明光記 羽太正養。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。鳥羽繪欠どめ 上中下 三冊。また、各巻ごとの書かれた年については不明。●極上和本YM4936●江戸明治和本等>〈都名所・諸職尽〉買得往来[都買得往来]稀書往来物。従って、応永五年とは、書き始めの年である。傾城腹之巻 後編上中下巻 合本 鼻山人(東里山人)菱川政信 ②E。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。『布告集誌ひらかな附』(八冊セット=第一号~八号)明治一三年 愛民社刊(長野県)明治時代和本(和装活字本)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。里村紹巴自筆消息幅 能札宛 紹巴が旅先から北野神社の社僧で連歌師の能札に宛てた書状。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大岡昇平集 全18冊 大岡昇平。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。※イタミ有。斬人斬魔剣 (1961年) 光風社 陣出 達朗。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。●極上和本YM4952●江戸明治和本等>〈旧幕府御掟書〉海津往来 文化11年。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。岡田玉山『絵本不尽泉』(上下巻合本一冊)寛政九年版 江戸時代和本(明治刷)風俗絵本。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。大正4年 浅草区仲見世東24号大橋堂 写真画帳 12帳一括 浅草土産 四十七士忍術勇士彰義隊一心太助尼子十勇士白虎隊大久保彦左衛門。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。唐本 梅清画集 梅瞿山黄山勝蹟圖 文明書局玻璃版 中国書画 民国13年 【34】。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。黄帝内経古注選集 正続揃い 全12冊 小曽戸洋他解説。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。●極上和本YM4957●江戸明治和本等>めのとのさうし乳母草紙 じよくんせう女訓集(正保3年)稀書往来物。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。秘藏 戦国時期 『南華経』セット4冊 中国古書 古美味 骨董品 O-01。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。絶版雑誌★「少年」昭和24年9月號 小松崎茂 江戸川乱歩 山川惣治 野尻抱影 河合三郎 富田常雄 大佛次郎 光文社。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。叢書ヒストリー・オヴ・アイディアズ 全30冊。
出品した「源氏物語」は蛍(よこぶえ)の内容の要旨
「蛍の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。(古本)世界の歴史 全16冊組 貝塚茂樹ほか 中央公論社 HK0610 19741110発行。第25帖。●極上和本YM4939●江戸明治和本等>古今銘物往来 鎌田善吾 有隣斎 享保 稀書往来物。光源氏36歳の5月の話。送料無料 「改正官員録」 明治20・21・22年の甲乙揃 3組一括 武鑑。五月雨の頃、兵部卿宮から玉鬘に文が届き、源氏はそれに返事を書かせた。齋藤磯雄著作集 全4巻5冊 齋藤磯雄。喜び勇んで六条院にやってきた兵部卿宮の前で、源氏は几帳の内に隙を見て袋に入れて隠していたホタルを解き放ち、その光で玉鬘の姿を浮かび上がらせて見せた。【イタミ有り】上段霞切り―月影兵庫聞書抄 (1963年) 東京文芸社 古賀 英正。予想以上の美しさに心を奪われた兵部卿宮は想いを和歌で訴えるが、玉鬘はつれなくあしらうだけだった。魯西亞舩渡来一件 ロシア渡来一見 漂流。その美しさにますます夢中になってしまう。京内まいり全。この逸話から、兵部卿宮は蛍宮、蛍兵部卿宮等と呼ばれる。飯田蛇笏集成 全7冊 飯田龍太監修。蛍兵部卿宮は変わらず熱心に玉鬘に恋文を送ってきていた。●極上和本YM4953●江戸明治和本等>浪花名所并町尽 浪華名所町尽 稀書往来物。源氏は一計を案じ、蛍兵部卿宮に色よい返事を書かせる。唐鑑真過海大師東征伝 水野清一編 高桐書院 昭和21年。喜び勇んで玉鬘の屋敷にやってきた蛍兵部卿宮は、源氏が隠れているとも知らず、几帳を隔てた玉鬘に向かって対座した。●極上和本YM4938●江戸明治和本等>尾崎鎌倉往来 附筆塚之石文 尾崎敬孝 天明4年 稀書往来物。几帳の内にホタルを放ち、玉鬘の姫君の美しさを際立たせる方法は広く知られている。太政官牒東大寺紀長谷雄 昌泰二年・899年 最後の遣唐副使 太政官印平安初期古文書古記録古写 菅原道真 藤原時平 宇多上皇 醍醐天皇。
自筆原本上部に「蛍(ほたる)」には、「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。西南記伝・6冊/黒龍会/明治41年/維新政府を二分する西南の役を起した征韓論とは何か/あらゆる史料で征韓派の思想と行動の全貌を伝える名著。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。Ba-409/北海道砂金掘り 昭和55年11月18日発行 著者:加藤公夫 発行所 北海道新聞社 砂金掘り四十年の流れ/L8/61226。源氏の君が蛍を放って玉鬘の姫君の美しさを蛍兵部卿に見せたことに由来しております。●極上和本YM4943●江戸明治和本等>庄内松竹往来 寛文12年作 文政3年書 稀書往来物。「蛍」の巻の原文には、「おどろかしき光見へは、宮ものぞきたまはん」とある。●極上和本YM4946●江戸明治和本等>伊夜日子往来[弥彦往来]新出史料 稀書往来物。五月の晩、源氏の君は玉鬘の身辺に蛍を放ちほのかな光の中に玉鬘の姿を映しだす有名な場面です。信州上田藩士分限帳 松平伊賀守家来者頭役矢嶋源左衛門編輯舊藏 明和寳暦~寛政頃か。玉鬘の姫君の美しさを中国の楊貴妃を並ぶ絶世の美女と称される王昭君の美しさを現したものです。松浦厚編『松浦法印征韓日記抄 全』明治27年 松浦家蔵版・吉川半七刊 文禄・慶長の役 松浦鎮信 明治時代和本(和装活字本)絵入本。王昭君は、漢の王宮の絶世の美女なのに、匈奴との外交のため遠く胡国の匈奴王呼韓邪単于(こかんやぜんう)へ送られる。葉若茂編『記事論説祝文作文五千題』(全三巻三冊揃)明治28年 葉若茂刊 明治時代和本 銅版画本。白楽天の五言絶句「王昭君」の漢詩で詠われている。少年少女21世紀のSF5 ゼロの怪物ヌル 畑正憲 金の星社 昭和44年 外函付き。「玉鞍」は、ヒスイの宝石で作った鞍です。拓本保証 漢時代 画像磚 原拓片 検索:碑帖 法帖 書道 唐本 漢籍 善本 古墨拓 碑刻石 瓦当 金石 篆刻 柯羅版 支那 石鼓 経折本 王羲之 本拓。現代語訳にすると「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた。巻菱湖唐詩帖 菱湖先生 幕末の三筆 中国 唐本 和本 和書 漢籍 古書 古典籍 書画 書道 拓本 碑帖 ②E。」というものです。・品名:発行者:史料集 義演推皇日記(第1~第3)・太田ぜん・印刷所:株平文社。紫式部が「蛍」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。女を生きる女たち―吉原幸子対談集 (1985年) (ラ・メールブックス〈1〉)※イタミ有り。詳細な理由は下記説明欄に記載押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。●極上和本YM4937●江戸明治和本等>〈大橋〉きそのかけはし[木曽乃掛橋]大林堂重英 稀書往来物。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
「蛍」の巻は英文で「Fireflies」と表記されます。大阪新町細見之図 澪標。
《自筆上部の「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。欧州大戦史の研究・11冊/陸軍大将杉山元/昭和12年/石田保政が七年有余に至る陸軍大学校在職間心血を打込んで講義した欧州大戦史一部の収録。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。XX-217 ■送料込■ 法華随力抄 全3冊揃え 元袋付 文政7年 江戸時代 中山日耀上人著 日蓮宗 木版画 浮世絵 和書 古本 古書 古文書 /くJYら。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。●極上和本YM4947●江戸明治和本等>〈安政新撰〉三浦名物往来 新出史料 稀書往来物 他に所蔵無し。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。山形県名勝誌・山形県庁・田山宗堯・明治41年・御巡行紀要・村山最上地方・置賜地方・庄内地方/山形県金石文集・非売品・昭和12年/2冊。)
「自筆原本」
自筆右下四つの印のうち上2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。竹譜詳録 上下二冊。
下2つは、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印自筆上部の「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。弘化5年 女大学寶箱 浪花書肆 益軒貝原 江戸時代 当時の女性が守るべきとされた規範や教え 多数絵入り 古書 和本 ②E。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。「農家備要前編」5冊揃 明治3年(1870)農業 北筑河野剛禎造 絵入 古書 木版摺り 備中倉敷 ②E。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。鳥羽繪筆拍子。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。曲亭馬琴作 勝川春亭画『常夏草紙 全』明治19年 栄文舎刊 明治時代和本(和装活字本)彩色木版画装 錦絵 浮世絵。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。為永春水著 歌川豊国・歌川国貞画『阿玉ヶ池櫛月形』(四冊)明治7年刊 明治時代和本 彩色木版画装 浮世絵 錦絵 絵草紙 草双紙。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。神通力入門 (1978年)※イタミ有。
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
《「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。ダスキン“愛の店“流通システム―心で伸びる流通組織のすべて (1980年) (Kou business)※イタミ有。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。〇refle0【激レア】古書 式法秘書 1~5 明治34年 お料理本 生間正起 五車楼書店 当時の調理法が…。》
《こほ(滞)り給ひ、》・・・・・姫きみ(君)もかく
こと(事)たかふさまにて物し給へは、いとくち(口)
お(惜)しとおほ(思)す。●極上和本YM4931●江戸明治和本等>花月堂文[〈御家支流〉花月堂文 筆道 原装・極美本 稀書往来物。かのなてしこをわす(忘)れ給はす、
物のお(折)りにもかた(語)り出給しこと(事)なれは、
「いかになりにけん。古典文学 古文書 セット 韓非子 十八史略 近思 唐宋八大家讀本 和本 木版 江戸 古書 古美術 骨董。もの(物)はかなかりけるおや(親)の
こゝろ(心)にひ(引)かれて、らうたけなりし人を、
ゆ(行)くへし(知)らすなりにたること。本草薬名備考和訓鈔 七巻 初版初刻本。
すへて女子とい(言)はむ物なむ、いかにもいかにも
め(目)はな(放)つましかりける。歴世女装考 春夏秋冬四冊。さかしらに我子とい(言)ひて、
あやしきさまにてはふれやすらむ。・品名:本 寛永諸家系図博 ・発行者:太田善麿 ・印刷所:(株) 平文社。とてもかくても
きこ(聞)え出こ(来)は」と、あはれにおほ(思)しわたる。十返舎一九肉筆紙片 【吉原】。
君たち(達)にも、「もしさやうなるな(名)の(乗)りする
人あらは、・・・・《みゝ(耳)とゝめよ。●極上和本YM4958●江戸明治和本等>曹大家女論語図会[女論語図会]稀書往来物。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。荘子絵抄 利 菊丘臥山人 、江戸後期頃下河辺拾水 天明4年 和本 古書 中国の「荘子」を絵入りで解説した書物 ②E。
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
《源氏の君が直衣の袖に蛍を隠し姫君の部屋の前で光を解き放つ有名な場面》
《源氏の君が放つ蛍の光に驚く姫君を描いた「源氏物語」の有名な場面を記した原文》
《五月五日、端午の節句・宮中での競射と競馬を源氏の君が玉鬘の姫君と見学する》
《紫の上と源氏の君が宇津保物語についてお話をされる》
《内大臣(昔の頭中将)名声や権勢を誇り娘たちの入内を夢見る》
《大臣(源氏の君)の何事も思いどおりになる名声や御威勢にまかせて、
みなひとかどの地位につかせていらっしゃる。●極上和本YM4930●江戸明治和本等>庭訓往来新絵鈔[庭訓往来新絵抄](江戸中期)稀書往来物。
娘はそうたくさんおありでないのに、弘徽殿女御(こきでんのにょうご)も
ああして期待しておられたことがそのとおりにならず、》・・・・《雲居雁の姫君も
あのように思いに反する有様でいらっしゃるから、まったく残念なお気持である。位牌 法名戒名大字典 釋慶嚴国書刊行会 昭和50年発行 定価28800円 ケース付。
あの撫子(なでしこ)の姫君(夕顔の娘・玉鬘の姫君)のことをお忘れにならず、
何かの機会にもお言い出しになったほどなので、
(内大臣)「あの娘(夕顔の娘・玉鬘の姫君はどうなったことだろう。中国 傅統年画 楊柳青 蘇州桃花塢 木版画 門神画 套色水印画 検索⇒仕女図 藝姐 廣告牌 支那 茶館 戯院 酒楼 妓院妓女 当舗 銭荘 煙館 関羽。
どことなく頼りなかった母親(夕顔の君)の了簡から、いかにもかわいらしい
子だったのに、とうとう行方(ゆくえ)知れずになってしまった。歌川国芳 風俗大雑書 安政2年 青雲堂英文蔵製 和本 古典籍。
だいたい女の子というものは、どんなことがあろうと目を離しては
いけなかったのだ。陣地戦の研究・2冊/陸軍大学校兵学教官・陸軍砲兵中佐・菰田康一講述/昭和4年/勉めて多くの戦例を引用し講受せしめたる応用戦術の筆記なり。今ごろいい気になってこのわたしの子だと名のり、
みじめに落ちぶれた身の上でさまよっているのではなかろうか。写本 広瀬淡窓『析玄』天保一〇年序写 江戸時代和本 析玄三十則 漢学書 伊勢素封家駒田家/駒田義三郎旧蔵書。
どんな格好にせよ、申し出てきてくれたら……」
と、内大臣(昔の頭中将)は、しみじみ懐かしがっていらっしゃる。小売企業のファッション・マーチャンダイジング (1973年) ダイヤモンド・フリードマン社 菅原 正博※イタミ有。
ご子息たちにも、
(内大臣)「もしそのような名のりをする
者がいたら、・・・・・・《聞きのがさぬようにしておくれ。古い掛軸 書 河田小龍 (箱なし) 未解読 内容不明。》
注記・原文の内容は、内大臣(昔の頭中将)が、自分の娘(雲井の雁の姫君と玉鬘の姫君)が、将来入内し帝の后として立后し、帝の外戚としての地位を得ることを夢に抱いていることが背景としてあることをうかがい知ることのできる場面を記している。兵法雄鑑抄 第一巻~第十二巻 北條氏長 寳暦頃寫。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。医部全書 全16冊 中文。
《Fireflies(蛍)》
The prospect of having the other do poorly did not
of course please him.
He had not forgotten the lady of the evening faces.
He often spoke of her, and he went on wondering
what had happened to the child.
The lady had put him off guard with her gentleness
and appearance of helplessness, and so he had lost a daughter.
A man must not under any circumstances let a woman
out of his sight.
Suppose the girl were to turn up now in some outlandish guise
and stridently announce herself as his daughter―well,
he would take her in.
"Do not dismiss anyone who says she is my daughter,"
he told his sons.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《蛍》
次女云居雁希望入,
亦事与愿,内大臣引憾事。N9718【アンティーク】明治時代の漢字辞書。因此昔年夕所生的女儿,
他始不忘,逢机会,提到个孩子。●極上和本YM4961●江戸明治和本等>〈女訓必用〉女庭訓宝種 女筆 万治板後印(文化14年)。
他想:“个人不知怎了。鵜飼静磨注 蒲生聚亭校『標註増補古文孝経 全』明治16年 金港堂蔵版 明治時代和本 唐本漢籍和刻本。很可的一个女儿,
跟了那个水性花的母,弄得下落不明。中国古典籍《平定粤匪略》十八巻 附記四巻(清)杜文瀾 撰。
可于女子,无如何,切不可以放松。『友善会々則』明治十五年序刊 明治初期の遠江・掛川の文化人交流組織 静岡県郷土史料 近現代史 波多野承五郎 山崎千三郎。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」蛍の巻の末尾(原本番号21-B)右面と左面の押印。●極上和本YM4954●江戸明治和本等>〈西与開板〉冨士野往来 富士野往来 天明板原装本 稀書往来物。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。●極上和本YM4945●江戸明治和本等>庄内往来(川井亦八13歳書) 稀書往来物。冬姫は内大臣・通誠の養女。●極上和本YM4944●江戸明治和本等>〈本目氏〉摂河往来 元禄板 稀書往来物 本目某書。
冬姫は通称。羅山全集 全4冊 京都史跡会編。正式な名は伊達貞子。和蘭語唐韻假字 オランダ語辞書。左端の写真は「蛍の巻」末尾の拡大写真。今日の話題・17冊/昭和20年/戦艦陸奥の爆沈/スラバヤ沖白昼戦/十八軍密林戦記/レイテ湾突入/水雷戦隊ソロモン決戦記/不沈空母大鳳謎の最期。
左上の篆書体は、「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、
馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、
馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。●極上和本YM4955●江戸明治和本等>孝行文章 手習肝要記 書筆策励記 久留米板3本合本 稀書往来物。
篆書体の右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。※カバー無し。学校図書館関係論説集 (1976年) 規文堂 加茂 弘。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。志賀直哉全集 全16冊 志賀直哉。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(蛍の巻)MRI 25―20B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「国宝・蛍の調度品」の資料
下記写真は、源氏の君が兵部卿のために袋にいれた蛍を御簾の中に入れる場面を記しています。●極上和本YM4941●江戸明治和本等>仙台往来(異本・2巻本)新出史料 稀書往来物。
左が玉鬘の君、右が兵部卿。XX-189 ■送料込■ 長野県 憲徳学校 修了証 他 まとめて 明治時代 学校 下高井郡 若宮村 和書 古書 古文書 /くJYら。右下の玄関から様子を伺っているが源氏の君
上記絵巻は、「源氏の放った蛍の光により玉鬘の君美しさに感動する兵部卿
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。法福寺合戦 信州時田合戦 信州桔梗原合戦 江戸中期写。
源氏物語「蛍」の巻の原本に記されております。真宗要文聞書 元禄4 蓮如 浄土真宗 仏教 検)仏陀浄土宗真言宗天台宗日蓮宗空海親鸞法然密教禅宗臨済宗 古書和書古文書写本PK。紫式部が「蛍」を書くに際し、「白楽天・漢詩集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「蛍の巻」を書いていることがわかります。伴源平編『大増補 実名字引』赤志忠雅堂刊 明治時代和本(銅版刷)名字・苗字資料。この原詩の言葉の引用は、「蛍の巻」に用いられていることで広く知られている。青山練兵場陸軍大観兵式。紫式部がこの原詩に親しんでいたことがわかる。組上 歌舞伎座新狂言於染久松奥蔵之場。
《「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》の篆書体(てんしょたい)体の漢詩文の落款が押捺されている。★☆当時物/日本ノート学用品 昭和九年発行/教育掛図/小学 国語読本掛図/第二学年。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。●極上和本YM4861●江戸明治和本等>浪花名所文章[浪華名所記]十返舎一九 稀書往来物。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 元和三年八月 浅書与之密 古文書。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。●極上和本YM4877●江戸明治和本等>新編松島往来[松嶋往来]滕耕徳 稀書往来物。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。●極上和本YM4860●江戸明治和本等>下総名所往来 極美本 稀書往来物 文政板後印。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。周防国錦帯橋之図。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。●極上和本YM4872●江戸明治和本等>諸国名山往来 十返舎一九 森屋板 稀書往来物。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。●極上和本YM4909●江戸明治和本等>〈諸人必用〉民家養生訓 小川顕道作 明治初年刊 医学。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。橘南谿『諸国奇談東西遊記』(東遊記五巻後編五巻 西遊記五巻続編五巻 計二〇冊)寛政7-10年 吉田善蔵他刊 江戸時代和本 泉鏡花旧蔵書か。撮影後、展示のために再表装をしております。高野山独案内。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。日本三景之内天之橋立。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。江戸大節用 江戸時代 節用集百科事典国語辞典辞書漢字字典字引き国学国語学漢学 検) 古書和書古文書古本PK。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。銀閣寺林泉図。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。HH-5986 ■送料込■ 俳句 俳諧 和歌集 句合 書籍 まとめて 大正 昭和 戦前 レトロ 本 古本 古書 古文書 /くJYら。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。状元詩経 洪武正韻 木刻本 唐本漢籍 清朝期? 線装本 検索⇒支那 彫版 古籍善本 刻経 玉扣 筒子頁 武英殿本 套色印 宣紙 白棉紙 木版 経書経。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。毎日新聞社 国宝、正倉院宝物、御物各全巻セット。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。創立100年記念出版 縮小版ニュース専修で見る 専修百年 専修大学。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。金沢昇平編『真景密画挿入大和名所巡覧記』明治24年 坂田一郎刊(奈良県)寺社仏閣・名所旧跡を銅版画挿絵入で紹介した地誌 明治時代和本。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。●極上和本YM4844●江戸明治和本等>〈新版〉童子書状鑑 童子手習書状鑑 十返舎一九 美本 稀書往来物。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。和漢三才圖會 外夷人物 絵本 検索⇒唐画 武道 武具 装身具 馬具 武器 刀剣術 兵器 兵書 傳書 戦陣 甲冑 鎧兜 弓矢 弓道 支那 武士道 殺人剣。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。中庸或問 朱熹 江戸期 朱子学 儒教儒学四書五経 江戸時代 検) 孔子孟子古書和書古文書古本PK。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。石川依平『柳園詠草』(全2冊揃)明治14年刊 明治時代和本 石川依平家集 歌集 冷泉為章・栗田土満・本居春庭に学んだ江戸後期の歌人。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。●極上和本YM4895●江戸明治和本等>和洋字混部類[〈WAYOU〉字混部類](初編)A良好。母は後水尾天皇皇女女二宮。手裏剣/成瀬関次/昭和18年/2000部/乏しい資料をまとめて開闢以来はじめての手裏剣の本にしたのがこれである・手裏剣の形状・手裏剣の術。実母は近衛家女房(瑤林院)。(古本)トーマスクック ヨーロッパ鉄道時刻表 2018年夏 ダイヤモンド社 D01455 20180704 発行。幼名は多治丸。四書(大学/中庸/論語/孟子) 10冊揃い 明治18年 ☆和本 儒教 儒学 木版 五経 B245y。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。m237◆会津藩 右筆 星研堂◆吊屈原賦楷帖 1冊◆肉筆 江戸 嘉永2年 攬翠軒 漢文 書道 書家 福島県@和本/古文書/古書。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。●極上和本YM4876●江戸明治和本等>〈弘化新刻〉木曽路往来 鼻山人 東里山人 稀書往来物。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。非売品 熱河 解説 竹島卓一 関野貞, 竹島卓一 著、座右宝刊行会、昭和12年 商品説明に目次画像あり。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。三曲合奏之図。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 御成敗式目 古文書。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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